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「日本型保守主義」の可能性

井上義和『日本主義と東京大学――昭和期学生思想運動の系譜』(柏書房)を読んだ。以下は「神保町の匠」に載せた書評。

日本主義
「日本主義」と聞くと、それだけでそっぽを向いてしまう人が多いのではないか。「国家主義」「右翼反動」「テロリズム」といった言葉がすぐに連想される。それらを否定することは、本書の言葉を使えば、戦後日本の言論空間における一つの強固な「PC=political correctness」だった。だが、「日本主義」をこのように裁断してしまっていいのか、思想としての可能性はなかったのか。これが、本書の問いかけである。

ここで、「日本主義」とは、昭和10年代までに蓄積された知的資源としての《日本主義的教養》から可能性を積極的に引き出そうとする立場を指す。《日本主義的教養》については「日本歴史や日本思想史に素材を求め国体論的な観点から編集された知・情・意のセット」と説明される。

具体的に取り上げられているのは、日本学生協会と精神科学研究所の運動である。日本学生協会は東京帝国大学の学生たちの精神科学研究会が東大当局によって解散させられた後、全国の大学・高専に呼びかけて昭和15年に結成された。精神科学研究所は大学を卒業した日本学生協会の指導者たちが作った活動拠点である。

著者はこれらの組織を担った小田村寅二郎らの出自を含めて運動の前史から丹念に説き起こす。彼らは、国体を破壊するいかなる言論も許容しないという「PC」が強固に働いていた昭和10年代の言論空間にあって、著者が「《日本主義的教養》を徹底させることで到達した結論」と指摘する「短期戦論」を掲げる。その結果、昭和18年、東条政権下の東京憲兵隊によって一斉検挙され、運動は終焉する。

運動を担った人々は当時の知的エリートであった。彼らの掲げた「日本主義」は、つまりは「エリートが自己を拘束するための国体論」だったというのが、著者の読解である。それは、総力戦体制を導き、大政翼賛会などを組織した「エリートが大衆を支配する国体論」とは違うという。著者は、そこに「日本型保守主義」の可能性をみる。

「はじめに」のエピグラムに丸山眞男「思想史の考え方について」の一節が記されている。本書は丸山が「歴史の皮肉」と片付けた出来事に思想史的な光を当てた労作である。

2008年09月23日 感想/その他 トラックバック:0 コメント:0

諸悪の根源は「記者クラブ」なのか


上杉隆『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎新書)を読んだ。著者は、NHKで少し働いた後、衆議院議員の鳩山邦夫の公設秘書を経て、ニューヨークタイムズの東京支局の記者になり、いまはフリーランスのジャーナリストとして活躍している人である。評判になった『官邸崩壊』(新潮社)は未読だが、前に田中真紀子についての文章を読んで、「よく取材しているな」と思った記憶がある。

この本は、著者が見聞きした日本の新聞・テレビ記者の「実態」をもとに、書名のように日本のジャーナリズムは崩壊していると糾弾したものだ。著者によれば、「諸悪の根源は記者クラブ」ということになりそうだ。

私は長く新聞記者をしていたが、残念ながら、中央省庁の記者クラブに属したことはない。著者は日本の記者クラブは世界的にも例をみない権力とメディアの癒着ともたれあい構造を持った「負の世界遺産」だそうだから、経験しておけばよかった。というのは、まあ冗談だが、「ニューヨークタイムズでは……」(いわゆる「出羽守」というものですね)といった感じもフレーズが頻出する「記者クラブ批判」には、少し首を傾げる。

記者クラブに問題がないとは思わないが、既成メディアの中でも優秀な記者は、別に記者クラブに依存して取材などしていない。

もう一つ、インターネットの普及に対する、たとえば、次のようなまことに楽観的なものに見方も疑問である。

インターネットの登場によって、建前に終始している既成メディアの論調は色褪せてきた。代わりに過激になりがちではあるものの、本音の議論が求められるようになってきた。
 自己保身が先に立つ社説などの飾った論調は、「ブログ」や「2ちゃんねる」などの出現によって次々に正体を暴かれ、影響力を失う事態に追い込まれている。また、テレビのニュース報道番組の自主規制も、「ユーチューブ」などの登場によって、それ自体無意味なものと化している。こうしたメディア環境の変化は、既存メディアの懸命な隠蔽工作すらいとも簡単に超越しているのだ。


何を言っているの?といったところだ。新聞の社説やテレビのニュース放送番組に問題がないとは思っているわけではない。だが、既存メディアとネットメディアの関係は、後者が前者を無意味化しているといった単純な事態ではない。


2008年08月14日 感想/その他 トラックバック:0 コメント:2

文京沫『済州島四・三事件』(平凡社)

三省堂書店のウェブページの「神保町の匠」というコーナーに参加してときどき書評を書くことになった。せっかくなので、このブログにも載せていくことにする。今回は急遽書いた標記の本。まだ、「神保町の匠」の方には載っていない。




韓国・済州島(チェジュド)は、国際的な観光地である。日本からの旅行客も多い。だが、豊かな自然に恵まれた島で半世紀前に起きた悲劇を知る人はあまりいないだろう。

日本の植民地支配を脱したものの、まだ米軍政下にあった朝鮮半島南部では、1948年5月10日、大韓民国建国のための選挙が予定されていた。南北分断につながるこの選挙に反対して、4月3日、済州島の南朝鮮労働党員約300人が武装蜂起した。この事件がやがて3万人近くの島民(当時の済州島の人口は約22万人)の命を奪う「四・三事件」のきっかけだった。事件は「反共」を国是とする国で長く公に語られることがなかった。島民たちも「恥ずべき歴史」として封印してきた。

小さな武装蜂起が、なぜ凄惨な殺戮劇にエスカレートしてしまったのか。著者は、《四・三の武装蜂起は、陸地(朝鮮半島)からやって来た軍政警察や右翼の横暴に対する自衛的かつ限定的な反攻という側面と、単独選挙阻止に見られる民族統一運動という、二つの側面を持っていた》が、《これまでの実証研究をふまえて言えば、四月三日の武装蜂起そのものは、前者の側面が強かったというほかない》と指摘する。確かにいったんは「和平」に向かう局面もあった。だが、武装蜂起は現地の常任委員会が決めたものとはいえ、南朝鮮労働党の革命戦略が背後にあったこともまた明らかだろう。

済州島は長く自治的な共同体としての歴史を培ってきた。「四・三事件」の悲劇は、その「個別的にして独自な歴史を持つ社会」が、「普遍的にして包括的な歴史の一局面」に無防備のまま出会ってしまったところに生じたものといえるだろう。後者はいうまでもなく、第2次大戦後の世界を規定した「冷戦」である。

本書は、近年の「真相解明」の成果を十二分に生かし、かつイデオロギー的に裁断することなく、「四・三事件」の全容と事件をめぐる島の歴史を明らかにしている。しかし、読後、私の中には先にふれた「なぜ」が解かれないままに残った。

2008年08月02日 感想/その他 トラックバック:0 コメント:0

テレビドラマ「点と線」

 ビートたけし主演のテレビドラマ「点と線」を見た。もっとも上下2回のうち、下のほうは後半半分ぐらいしか見られなかったが。
 松本清張の原作はたぶん中学生ぐらいのときにカッパノベルス版で読んだと思う。東京駅のホームの例の「4分間」の話は印象的で、あとはくわしい筋は忘れてしまっていた。発端の場面は、香椎という地名とともによく覚えていた。後年、北九州市に住んでいたころ、小さかった子供を香椎花園(いまはなき遊園地)に連れていったことがあって、そのときも「あの《点と線》に出てくるところだな」と思ったものだった。もう一つ、刑事の鳥飼重太郎の名前もよく覚えていた。たしか、もう一回、彼は清張の小説に登場したはずだ。
 さて、テレビドラマである。昭和50年代?の雰囲気をよく再現していて見ごたえがあったが、困ったことに鳥飼役のビートたけしがミスキャストだった。鳥飼重太郎はもっと朴訥とした感じがふさわしい。たけしが演じるような「すごみ」は、原作の鳥飼のイメージに遠いのだ。

2007年11月26日 感想/その他 トラックバック:0 コメント:0

小田実氏の死

本当に久しぶりに書いてみました。 

小田実氏が死去した。
 朝日をはじめ、訃報は大きな扱いで、追悼記事も鶴見俊輔氏(朝日)のものなどが出た。
 個人的な記憶を一つだけ記しておく。新聞記者をしていた当時、2回ほど小田氏に会った。一度は、北朝鮮から帰国したばかりのときで、文芸担当記者を通じて「ぜひ、話したいことがある」ということだった。私が考古学や歴史関係を担当していたためで、「ぜひ、話したいこと」の中身は、小田氏が北朝鮮の考古学者から聞いたという好太王碑(広開土王碑)についての「最新の研究」だった。
 好太王碑の碑文については、日本によって都合のいいように改竄されたという「研究」があった。小田氏が語ってくれた話の内容は、この「研究」の線に沿った話で、一介の考古学記者である私にとっても新しい知見ではなかった。
 印象的だったのは、北朝鮮研究者の見解を疑いもなく信じて熱っぽく語る小田氏の姿だった。ここで、好太王碑の碑文研究の詳細について語ることはできないが、一言で言えば、当時すでに「意図的な改竄はなかった」という考えが主流になっていた。小田氏は考古学の専門家ではないから、そのあたりのことをよく知らなかったとしても批判はできない。だが、北朝鮮の研究者がこういっているから、それが真実だ、という精神的態度は十分批判に値しよう。
 文学者としての小田氏の評価は私にはできないが、べ平連など社会運動の面で彼が残した足跡が大きなものがあると思っている。だから、私の個人的な回想には彼を貶める意図はない。ただ、その硬直した思考態度には「何でも見てやろう」の柔軟さはなかったことは確かである。

2007年08月06日 感想/その他 トラックバック:1 コメント:0

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