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駆け出しのころ③

 西部本社(北九州市小倉北区)で一日だけの「研修」を終えて、夜、小倉駅から寝台急行「かいもん」(何号かは忘れた)に乗って鹿児島に向かった。西部本社管内の支局には10人以上が配属になっていた。夜、人事部の担当者が歓迎の小宴を開いてくれていたのだが、私だけその席から中座して駅に向かった。一番遠いということもあったのだが、支局長に電話で連絡すると、「明日朝にはちゃんと赴任しろ」と言われてしまった。私は明日中に着けばいいや、ぐらいに思って、その日は小倉に泊まるつもりだったから、びっくりしたが、しようがない。
 早朝、西鹿児島駅に着くと、支局の宿直明けの記者(前述のキャップ格の人だった)と事務補助員のN君が迎えに来てくれていた。事務補助員というのは、支局の雑務をするアルバイトで、「坊や」と呼ばれていた。N君は定時制高校に通っていて、支局の宿直室を下宿がわりにしていた。彼のことはまたふれる機会があるだろう。
 支局は3階建てで、一階が会議室と宿直室。2階が支局の仕事場。3階が支局長住宅であった。支局に着いて、宿直明けの先輩記者とともに近所の食堂から出前してもらった朝ごはんを食べた。目玉焼きだったかを醤油をかけて食べると、何だか味が変だった。醤油が甘いのだ。「日本は広い」。東京生まれ・東京育ちの世間知らずは、その朝、そう痛感したのだった。
  
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2004年12月09日 デモシカ記 トラックバック:0 コメント:0












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