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駆け出しのころ②

 最初の赴任地は鹿児島だった。どこの新聞社も,そして今でもそうだが,新人記者はたいていごく短い研修を終えると,地方の支局に配属される。OJT(on the job training)なんて言葉が使われていない時代から,そうだった。つまり「習うより慣れろ」というわけだ。この仕組み,しかし,なかなか合理的でもある。地方支局はたいてい県庁所在地にある。行政機関(県,市)があって,警察(県警,警察署)がある。日常的紙面つくりは地方版である。中央のミニチュアといっていい場面で,新米記者は取材のノウハウ,記事の書き方を文字通り実践的に学んでいく。
 私が赴任した鹿児島支局は当時,支局長,次長のほか,記者が私を含めて4人しかいなかった。入社10年ぐらいの人が県政を担当していて,いわばキャップ格(東京本社管内の支局はもう少し人数が多く,こうしたポジションの人を「三席」と呼ぶと知ったのはもっとずっと後のこと)。地方通信員から社員になった年配の人が市政ほかを担当していた。もう一人が私の直接の先輩で入社2年目の人だった。
 支局長は東京本社社会部や政治部にいた人で,これがまことに困った人物だった。東京に生まれ育って,東京の大学を卒業して新聞社に入ったら,いきなり鹿児島支局である。しかも,この変てこな支局長と出会って,私の記者生活は前途洋々どころか波高しの船出だった。
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2004年12月07日 デモシカ記 トラックバック:0 コメント:0












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