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駆け出しのころ①

 「元デモシカ?記者」は、まあウソではないのである。新聞記者にデモなるか、新聞記者シカなれないか、というわけだ。以下、「デモシカ記」を。今回は「デモシカ」以前というか、もう35年も前の就職事情のいったんを記す。
 大学4年の春、学費はただで大学院に進学でき、しかもドクターになると助手として給与も出て、そのまま大学のスタッフになれるという、まことに恵まれた資格が与えられる試験を受けて合格した。でも、研究者になることに不安もあった。自分の能力に自信がなかった。
 とはいえ、もともとふつうの企業に就職する気はなかった。「就活」といった言葉はなかったが、周りには「会社訪問」といったことをして人もいるらしいので、5月の連休明けに、いまは合併でなくなった外国為替専門の銀行に行ってみた。この銀行なら外国に行けそうだし、調査部といったセクションでエコノミストとして研究的な仕事ができそうに思った。経済学はほとんど知らなかったのだが。
 人事部の担当者に会って、大学の成績などを書かされた。その後、面接試験のようなものがあった。短い英文をわたされ、その場で訳したのを覚えている。数日後、副頭取という人と立派な部屋で面接した。それで、内定。内定請書という書類を出した。
 しかし、何となく新聞記者という仕事もおもしろそうだと思っていた。当時、朝日、毎日、共同通信、NHKが同じ日に試験があった。7月のはじめだったと思う。この一つを受けたら、合格した。銀行の方には「大学院に進む」といって内定を取り消してもらった。
 しかし、新聞社に決めたわけでもなかった。卒業する直前まで大学に残ろうか、新聞記者になろうか、迷っていた。なぜ、前述のような「恵まれたコース」を捨てたのか、いま振り返ってもよく分からないところはある。要するに一人前の研究者になるのは大変そうに思えたし、一方、新聞記者は何だかおもしろそうにみえたのだ。当時、大学紛争が激しく、アカデミズムが色あせて見えた時期であったことも大きい。
 まあ、そういうことで私は新聞記者になったのである。
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2004年12月06日 デモシカ記 トラックバック:0 コメント:0












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