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駆け出しのころ⑦

 大学を卒業するまで大した苦労をしたこともない東京育ちの青二才だったから、この支局長との「出会い」はショックだった。理不尽な仕打ちをいろいろ覚えているが、たとえば、こんなことがあった。
 ある日、例によって大した記事ではなかったと思うけれど(だから、具体的な中身はまったく記憶にない)、どこかの社に抜かれて、「ちょっと支局にあがって来い」ということになった。いやーな気持ちで支局に戻ると、支局長が烈火のごとく怒っている。「お前はこのままではとても支局の記者としてやっていけない。これからすぐに指宿の通信部に行かせる」というのである。
 鹿児島県内には鹿児島市の支局以外に主要都市に通信部と呼ばれる通信網があった。記者は一人で、当時はたいてい地元採用の人だった。いまはそんなことはなくなったが、新聞社は雇用形態がさまざまだった。通信部記者は定期採用された記者と違って、最初は通信員といったかたちで雇用され、何年かたって「登用」されて正社員になる人がほとんどだった。指宿市は温泉で有名な薩摩半島の町である。当時はそこにも通信部があって、地元新聞から移ってきた年配の記者がいた。
 鹿児島県内の人事は自分が握っているのだから、だれを支局に置き、だれを通信部に配置しようと自分の裁量内というのが、支局長のリクツだった。いくら支局長でもそう単純に人事はいじれないことは後で知るが、何せ、こちらは新聞社の内部はもとより世間知らずの青二才である。ただ、数年の支局生活は仕方がないとしても当然、東京に帰って記者として活躍するのだと考えていたのだから、「指宿通信部に行け」と言われて、もうお先真っ暗と思ってしまった。
 「すぐ、これから赴任しろ」というお達しだった。で、私は「お先真っ暗」と思いつつ、仕方がないので「では、これから用意をして……」などとぶつぶつ言いながら、その場を去ろうとすると、今度は「何を言っているのか。そこに立っていろ」と前言を翻す。結局、そのときは一時間ほど立たされて、放免になったように覚えている。小学校以来、それなりの「優等生」だったから、立たされたのは初めてだった。
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2005年01月08日 デモシカ記 トラックバック:0 コメント:0












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