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元旦社説

 元旦は各新聞が、いわば「年頭の辞」のようにして大社説を掲載する。その結果、各新聞の違いが明確になる。読売、朝日、毎日、産経の「社説」(産経は「主張」)を読んだ。予想通り、読売-産経と朝日の対立が鮮明で、毎日が「独自の道」という感じだった。
 朝日は「アジアに夢を追い求め/2005年始まり」という見出し。元旦だから「夢」というわけではないだろうが、この新聞の現実感覚の欠如を改めて見せつけられる内容だ。ほかの3紙がいずれも「戦後60年」という節目に着目したのに対し、朝日は100年前の1月1日は、旅順の攻防戦に敗れたロシアの司令官ステッセルが日本に降伏を申し入れた日だということから書き出している。「戦後60年」という言葉は一度も出てこない。
 要約すると、次のようになる。
 日露戦争における日本の勝利は当時、孫文をはじめアジアの独立運動家を歓喜させた。それから1世紀、いま「東アジア共同体を」という声が行き交っている。歴史を振り返れば、日本には岡倉天心が「アジアは一つ」と唱えたようにアジア主義の流れがあったし、孫文も「大アジア主義」を唱えて、東アジアの連携を求めた。現実はいろいろ厳しいが、今日の欧州連合(EU)が石炭と鉄鋼の6カ国による共同管理からスタートしたことに学んで、日中で海底の天然資源を共同開発・管理する仕組みを考え、平和につなげることが必要だ。EUのように、とは言わないが、アジアの実情にあった緩やかな共同体の実現に向けて、まずは夢を追い求めたい。――以上である。
 岡倉天心や孫文が出てくるのにはびっくりしたが(ついでに書くと、EUの思想的先駆者としてクーデンホーフ・カレルギーも登場する)、一言で言えば、この程度の夢はだれにでも語れる(本当に!)。問題は夢は夢にしか過ぎないことである。現実の厳しさに対比されているのは、「韓流ブーム」と日韓W杯サッカーの共同開催の成果なのだから、困ったものだ。
 読売と産経は、これも一言で言ってしまえば、「戦後60年」の今こそ「戦後的なるもの」(戦後民主主義、憲法9条、教育基本法……)を完全に払拭して、新しい時代にふさわしい国家の体制を作りださなければいけないということになる。むろん、具体的表現は違うが、論旨は驚くほど一致している。こちらも「戦後的なるもの」を捨ててしまえば、どうにかなるといった「戦後=悪」という短絡思考が目立って、「おいおい」と言いたくなる。もっとも、無責任に夢を語るよりはずっと議論の糸口にはなりうるだろう。
 毎日は「もっと楽しく政治をしよう/国民の力を信じる政府に」という、何だか訳が分からない見出し。「戦後60年」を全面に打ち出して、いま私たちが直面している問題はいずれも戦後日本の「成功話の裏面」であると説く。これはその通りだと思う。「成功話」は過去の話なのだから、いよいよ表に出てきてしまった「裏面」とどう折り合いをつけるかが、いま政治に課せられているという。この時代認識も正しい。
 だが、その先、民主主義なのだから、ちゃんと説明して議論をしないといけないという展開は、ちょっと困る。いや、間違ってはいないけれど、これはジャーナリズムとしてはある種の「逃げ」である。高校の教科書みたいなことを言っていないで、「裏面」との折り合いのつけ方に関する原則的な考え方を提示すべきではないか。
 それから、これは蛇足だが、毎日の社説の文体は困る。これでは、国語の問題にならない(まあ、国語の問題にするために社説を書いているわけではないけれど)。たとえば、こんなふうなのだ。
 《年金も消費税も公務員と天下り先の巨額な給与総額も合併しても減らない全国の議員数も米軍再編と自衛隊の今後も国連安保理常任理事国入り後の日本のあり方もすべて同じだ。
 なぜ、何が必要で、こういう見通しがあるからと説得による多数派工作がないまま進める過去60年の政治体質から、結果だけでなくそういう過程を共に楽しみ責任も共有するこれからの民主主義を形成する60年にしようではないか》。
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2005年01月01日 感想/新聞編 トラックバック:0 コメント:0












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