スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--年--月--日 スポンサー広告 トラックバック:- コメント:-

筑紫哲也の死去

tikushi.jpg
筑紫哲也氏が亡くなった。肺がんの闘病生活をしていたことはよく知られていたが、病状などについて詳らかではなかったから、少しびっくりした。肺がんはかつてはかなり死と直結する病気だったが、近年は治癒率も相当高くなっているのではないかと思う。私の周囲にも肺がんの手術後、元気にされている人がいる。私の驚きの背景には、そんなことも関係しているだろう。

何かの授賞式のパーティーで遠くから見たことがあるだけで、筑紫氏とは残念ながら、何の接点もなかった。パーティーの席での話は筑紫氏がもう相当の年輩のときだったが、遠めにもなかなかダンディーな人に見えた。

筑紫氏の訃報は出身母体の「朝日」をはじめ、私の予想以上に大きな扱いだった。田原総一郎氏が「一つの時代が終わった」とずいぶん大仰なことを言っていた。しかし、よく考えてみると、たしかにそういうところがないわけでもないような気がしている。もっとも、「一つの時代が終わった」という意味は、田原氏と私では相当の開きがあるだろうが……。

死者に鞭打つ気はないし、それなりの仕事をした人だとは思うけれど、「これ」というジャーナリストとしての業績を知らない。『朝日ジャーナル』編集長時代の「若者の神々」は、当時のニューアカ的雰囲気に便乗しただけの、何の批評性も感じないものだったし、テレビのキャスターとしてもピントはずれの「他事争論」が多かったように思う。

結局、筑紫哲也という人は、「朝日」的進歩主義を身にまとまったダンディーなテレビ人だったというところか。「朝日」的進歩主義(憲法9条を掲げる「一国平和主義」とでもいえばいいか)が黄昏てしまって久しい。筑紫氏の退場は、その意味では「一つの時代が終わった」ことの再確認ということになるかもしれない。
スポンサーサイト

2008年11月17日 感想/その他 トラックバック:0 コメント:0

「輿論」と「世論」をどうつなぐのか

佐藤卓己『輿論と世論――日本的民意の系譜学』(新潮社)の書評を「神保町の匠」に書きました。


「世論」という漢字をさて、どう読むか。「ヨロン」、それとも「セロン」? いまは「ヨロン」派が多数派である。「世論」はもともと「輿論」と書いた。これはもちろん「ヨロン」である。戦後の漢字制限で「輿」が使えなくなり、「輿論」を「世論」と書くようになった。この来歴からいえば、「世論」を「ヨロン」と読むのはいちおう正しい。だが、ことはそう簡単ではない。

明治以後、「世論」という言葉はちゃんとあった。これは「セロン」または「セイロン」と読んだ。意味は「輿論」とかなり違う。著者の説明を使えば、「輿論」はpublic opinion であり、「世論」はpopular sentimentである。前者は、世の中を導く「公論」として大切だが、後者は人々の「気分」に過ぎないものとして、むしろ否定的に使われてきた。

著者はこうした言葉の歴史を明らかにした後、終戦記念日をめぐる世論調査から「小泉劇場」に至るまで、戦後日本社会のさまざまな事例を、この「輿論と世論」の軸で考察する。「公論」のほか「議論」「意見」「意識」「評価」「建前」「理想」などといった言葉に「よろん」のルビがふられる。一方、「気分」のほか「空気」「声」「ムード」「感情」「雰囲気」「本音」「現実」のルビは「せろん」である。著者の駆使する文字通り「複眼」的分析は、私たちが生きてきた戦後社会の構造を立体的に明らかにしてくれる。

著者の立場ははっきりしている。テレビがメディアの主力になった戦後日本でとりわけ顕著になった「輿論の世論化」に異義を唱え、「世論」に対決して、「世論」に抗して、「輿論」に働きかえることが必要だというのである。

問題は「輿論と世論」が単純な二項対立ではないところにある。これはもちろん著者も気がついていて、「公論と私情は現実には複雑に入り混じっており、きれいに腑分けすることは不能である」と書いている。そのうえで、「思考の枠組み」として、常に「輿論」か「世論」か、を自らに問いかけることを求めるのである。だが、私には「思考の枠組み」というより、「輿論」と「世論」との架橋にかかわる「思考の方法」こそ重要なのではないかと思える。


2008年11月05日 感想/その他 トラックバック:0 コメント:0

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。