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「偽史を創作した丸山眞男」はひどいぞ!

 佐藤卓己『八月十五日の神話――終戦記念日のメディア学』(ちくま新書)を読んだ。ここでは全体の感想めいたことは書かないが、いささかひどいと思ったことがあったので、記しておきたい。
 戦後日本の出発点に関して「八・一五革命」という理解がある。よく知られているように、丸山眞男の示唆を受けて憲法学者の宮沢俊義が唱えたものである。この「八・一五革命」説にふれて、佐藤は米谷匡史の論文に依拠しつつ、次のように書いている(同書、256ページ)

 いずれにせよ、戦中と戦後の間、つまり八月一五日に論理と心理で断絶があったという偽史を丸山は創作した。それは一見すると過激に見えても、実は「八月一五日、聖断により国体は護持された」と考える保守派の「八・一五玉音神話」、すなわち「九・二降伏記念日の忘却」を裏返しただけにすぎない。

 たしかに、丸山は著名な論文「超国家主義の論理と心理」の最後に《日本軍国主義に終止符が打たれた八・一五の日はまた同時に、超国家主義の全体系の基盤たる国体がその絶対性を喪失し今や始めて自由なる主体となった日本国民にその運命を委ねた日でもあったのである》と記した。米谷が論じたように、丸山がこのような認識に至ったのは日付としての1945年8月15日ではなかっただろう。また、佐藤も記しているように、丸山は当初、美濃部達吉らオールド・リベラリストと同じように大日本帝国憲法の部分的修正で民主化は可能と考えていたものの、新憲法草案にふれるなどの経緯を経て、認識を改めたのかもしれない。だが、そうだとして、そのことがどうして《偽史を創作した》ということになるのだろうか。
 戦後、日本は天皇主権の体制から国民主権の国家に変わった。手続き的な問題はともかく憲法体制(最近のはやりでいえば、「国のかたち」)は根本的に変わった。それは、日付としての1945年8月15日の出来事ではない。その意味で、むろん《八月一五日に論理と心理の断絶があった》はずはない。しかし、これは当たり前のことだが、そうした「国のかたち」の根本的変化は太平洋戦争の敗戦によって実現したのである。丸山において「八・一五」は、そうした意味を込めて使われていることは明らかではないか。
 それにしても《偽史を創作した》とは、よく言ったものだ。 
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2005年07月22日 感想/その他 トラックバック:0 コメント:0

愛知万博に行った

 「愛・地球博」、つまり愛知万博に行ってきた。「物好きな……」と言う勿れ。まあ、こういうのは行かないと話にならないところがある。
 最初の日は午後5時から入場する割引きコースで入った。一番人気は日立グループ館、続いてトヨタグループ館。両方とも3時間以上待ち。とても並んでいられない。これはパスしてワンダーサーカス電力館、JR超伝導館、三菱未来館、名古屋市パビリオン大地の塔を見た。けっこう効率的だったと言えそうだ。翌日は朝から行ったけれど、日立、トヨタは午後2時からの整理券配布に並ぶみたいで、ふたたびパス。外国館をいろいろのぞいたりした後、長久手日本館に入る。これはなかなかだった。マンモス・ラボにも入ったし、は日本庭園を散歩して「サツキとメイの家」を遠望して来たから、この日もなかなかよく動いた。
どのパビリオンも「地球環境を守れ」というメッセージが鮮明で、というか鮮明すぎるのが、いささか食傷気味になる。
 1970年の大阪万博は何と開幕日に両親らと行ったのだった。ほとんど何も覚えていない。しかし、今回の方がずっと構成はいいし、会場もよく出来ている気がする。しかし、思えば、大阪万博は私が新聞記者になった年の出来事である。思えば、遠くに来たもんだ。

2005年07月16日 感想/その他 トラックバック:0 コメント:0

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