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個人情報保護法は悪法だ!

 必要があって個人情報保護法を「精読」するはめになった。実に悪法であることを痛感した。といっても、新聞社などが強く主張していた取材が制約されるという点ではない(周知のように「報道」は例外として、この法律は適用されないことになった)。もっと根本的な疑問である。
 そもそもこの法律は「個人情報」は「その個人だけのもの」という思想に基づいている。だが、本当に「個人情報」は「その個人だけのもの」だろうか。人間は絶海の孤島で一人暮らしているわけではない。どんな引きこもりの人間でも何がしかの社会関係を持つ。ましてやふつうに生活しているふつうの人はさまざまな関係の網の目の中で生きているのだ。
 少し考えれば分かるように、こうした網の目はそれぞれ相互の「個人情報」をやりとりすることによって成り立っている。「成り立っている」というのが強すぎるなら、「個人情報」のやりとりが不可避である、といってもいい。いずれにせよ、「個人情報」は「その個人だけのもの」ではありえない。
 もちろん「個人情報」を不法に取得して悪用する輩がいることはたしかだろう。だが、ダイレクトメールやらさまざま勧誘電話がかかってくる程度のことは高度情報社会に生きる人間としてのコストとして仕方がないことだ。それ以上に、身体的ないしは精神的苦痛を受けるようなケースは民法の不法行為で損害賠償するなりなんなり、別の道を選べばいい。
 個人情報保護法の根っこにある人間観・社会観はおそろしく非現実である。
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2005年04月27日 感想/その他 トラックバック:0 コメント:0

名張毒ぶどう酒事件

 名張毒ぶどう酒事件は1961年3月28日に起きた出来事だから、私は中学生2年生だったことになる。細部はもちろん覚えていないが、事件の記憶はある。
 死刑が確定していた奥西勝さんの再審請求を、名古屋高裁が認める決定をした。最高裁で上告が棄却されたのが1972年6月だから実に33年ぶりということになる。
 各新聞の社説は直ちに再審を始めることを求めている。例えば、朝日は「検察は今回の決定に異議を申し立てることができるが、これ以上時間を費やすことはやめて、直ちに再審を始めることに同意するべきだ」と書いている。
 そのことは、ここでは論じない。私としては、この事件を新聞はどのように報道してきたのか、ということが気になった。少し調べてみた。
 事件は名張市の中心部からかなり離れた集落の公民会で開かれた生活改善クラブ「三奈の会」の会合で起きた。ぶどう酒を飲んだ女性5人が死んだ。奥西さんは「三奈の会」も元会長で、事件間もなく重要参考人として事情聴取を受け、当初は「死んだ自分の妻が毒を入れた」と供述していたが、後に犯行を自供したとして逮捕された。1961年4月3日の朝日朝刊は一面中央に5段見出しで「奥西元会長が犯行を自供/ブドウ酒殺人事件、解決」という記事を載せている。社会面トップのその受けの記事は「奥西の単独犯行/ブドウ酒事件」の横見出しで、見出しは「妻・愛人の毒殺図る/三角関係に悩んで」とある。こちらは名張署の捜査本部や記者会見のもようの雑感なのだが、そのすぐ下に「美男、複雑な女性関係/二重人格の男―奥西勝」という三段見出しの記事がある。「無口でまじめそうにみえるが、半面ふしだらな女性関係をもっている二重人格の男だった」という表現が記事の内容を要約している。
 もう一つ、4月4日の第二社会面の記事を紹介しておこう。「“閉ざされた社会”の悲劇」という凸版見出しを張って「感情に逃げ場がない/“血と土”にしばられて」という見出しがついている。つまり、事件の背景をさぐったサイド記事なのだが、きだみのる、大浜英子といった「知識人」が見出しにあるように、「遅れた山村」の悲劇として、それぞれにこの事件を語っているのである。
 「後出しジャンケン」のようにして、これらの記事を批判するつもりはない。「犯罪報道」は、どうしたらいいのか。答えは簡単ではない。
 

2005年04月25日 感想/新聞編 トラックバック:2 コメント:0

「南京大虐殺」 in BBC

 BBCのサイトを見ていたら、珍しくワールドニューズのトップに中国の反日デモのことが出ていた。見出しは

Japan to protest over China riots

である。日本の町村外相が反日デモについて中国に抗議するという記事だが、riot というのがなかなかに強烈である。

_41017419_flaggetty203b.jpg
 

 その記事に出ていたのが、上の写真である。私は別に「国粋主義者」でも、いわんやいわゆる「右翼」でもない。日の丸に特別に思い入れがあるわけでもない。しかし、ふつうの日本人として、こういう写真が全世界に流れていることに素朴に「困ったことだ」と思う。
よく状況を分からない人たち(たいていの人がそうだ)この写真を見ると、「日本は中国に対してひどいことをしたのだ」と考えてしまうのではないか。
 しかも、その記事には、こうある。

Among the issues causing outrage is the description of the Japanese army's massacre of civilians in the Chinese city of Nanjing, referred to in the study books as "an incident".
Between 50,000 and 300,000 people were killed between December 1937 and March 1938 in one of the worst massacres of modern times.


 むろん南京大虐殺のことである。「大虐殺」が日本の教科書では「事件」と書かれていることが大きな「争点」だというのだが、今回の教科書検定に関して南京大虐殺に関する記述が「争点」になっていただろうか。しかも「近代における最悪の大量虐殺の一つにおいて、1937年12月から1938年3月の間に5万人から30万人の市民が殺された」というのも、相当に大雑把な記述ではないか。こういう「歴史認識」が欧米のメディアを通じて世界で共有されてしまうのは、いささか困る。
 さらに南京大虐殺については

Rape of Nanjing

という別項の「解説記事」(?)があって、くわしい説明がある。写真も何枚かあって、次はそのうちの一枚。

_41019723_nanjingditch203b.jpg


 南京大虐殺の「証拠写真」というのはたくさん世の中に出回っていて、これもその一つだ。最近、東中野修道・小林進・福永慎次郎『南京事件「証拠写真」を検証する』(草思社)を読んだ。上の写真もこの本で検証されている。この写真の初出は、1938年10月22日号の「チャイナ・ウイークリー・レビュー」で、そこには、徐州で撮影されたとあるそうだ。この本は、143枚の写真を検証して「証拠として通用する写真は1枚もなかった」と結論している。



2005年04月17日 感想/その他 トラックバック:0 コメント:34

中国の反日デモ

 中国で大規模な反日デモが起き、大使館に投石などがあった。日本料理店なども攻撃の対象になった。
 こういうニュースに接した、ふつうの日本人の感覚はどういうものだろうか。中国人の反日行動に理解を示す人々がいないわけではないだろう。「中国けしからん」と憤激する人もかなりいるだろう。だが、ほとんどの人は、いってみると、漠然とした「いやーな気持ち」になるのではないか。
 歴史教科書の問題やら国連常任理事国入りの話について、日本に対して反発や不快感を持つ人々が中国にいるのは分かる。しかし、歴史教科書の問題は国定教科書ではなく検定というかたちで教科書が提供されている日本では、中国とは違うレベルの言論の自由があるということである。常任理事国の問題にしても日本が今まではとは違うレベルでに国際平和に貢献しようという話である。
 いずれにせよ、こうしたことは日本がかつての軍国主義に戻る徴候でもなければ、ましてや日本がふたたび中国を侵略するといったことは世界がひっくり返ってもありえないことだ。
 ということを考えると、私は素朴に彼らは何を求めているのだろうと思わざるをえない。
 日本の首相が南京大虐殺記念館(そんな名前かな?)に行って、ひれ伏してお詫びすればいいのかしら。私は、日本がまちがいなくかつて中国を侵略したと考えているし、南京の犠牲者は30万人という中国側の主張は到底信じられないにせよ、日本が中国各地で無辜の民衆を数多く死に至らしめたことは間違いないとも思っている。だが、東京裁判(問題は大いにあるとしても)をはじめとした場で、それらは裁かれているし、公式に何度も謝罪を表明している。
 「もういいかげんにせえ」というのが、ふつうの日本人の感覚ではないか。

2005年04月10日 感想/その他 トラックバック:0 コメント:3

教科書検定

 今朝の新聞はどこも公表された中学校教科書検定結果が一面トップだったようだ。社説にも取り上げている。こんなときは各紙の社説を読み比べると興味深い。新聞社によってずいぶん考え方が違うのだということが改めてよく分かるし、問題のありかを自分の頭で考えるため参考になる。
 まず『朝日』。「つくる会」というタイトルで、見出しは「こんな教科書でいいのか」。内容は教科書検定全体の問題というより、タイトルが示しているように「新しい歴史教科書をつくる会」が主導した歴史教科書(扶桑社)批判である。《何よりも問題なのは、光と影のある近現代史を日本に都合よく見ようとする歴史観に貫かれていることだ》《日本を大切に思うなら、他国の人が自分の国を大切にする心にも敬意を抱くべきだ。そうであってこそ、周りの国と互いに理解を深めることができる》として《「つくる会」の歴史教科書は、そのバランスを欠いている。4年前、朝日新聞は社説で、教室で使うにふさわしくないと主張した。今回も同じことを言わざるをえない》と「不合格」の烙印を押している。
 『毎日』は「教科書検定」のタイトルで、見出しは「国の関与 薄める工夫を」。扶桑社歴史教科書や竹島をめぐる記述の改定などにふれて《検定をやめ、自由発行制にするのが望ましいが、国とは別の専門家らによる第三者機関を設立し、そこが適当と認定した教科書のみ、採択リストに載せるという認定方式も考えられる》と提案らしきものをしている。
 これが『読売』となると、論点がそもそも違う。「歴史教科書」のタイトルで、見出しは「採択は日本の国内問題だ」。「従軍慰安婦」の記述が減ったことなどにふれ、今回の検定をある程度評価したうえで、竹島の問題に及ぶ。《教科書に領土問題を記述する場合、日本政府の見解を反映させるのは当たり前のことだ》と述べる。したがって、こうした問題について中国や韓国の政府がいろいろ言ってくるのは《明らかな内政干渉だ》と論じる。
 さらに『産経』の「主張」は「中学教科書」のタイトルで、見出しは「記述の是正はまだ不十分」。『朝日』とまっこうから対立している。
 私自身、各社の教科書を読み比べているわけではないので、なんともいえないが、『朝日』のように、「この教科書はだめ」というのは、どうだろうか。何か一種の「思想統制」のように思える。《他国の人が自分の国を大切にする心にも敬意を抱くべきだ》というのはその通りだが、韓国や中国が言っていることが正しいわけではない。もっとも『読売』のように《明らかな内政干渉だ》と言って熱くなるのも、どうにも大人気ない感じがする。 『毎日』の提案もよく分からない。現行の検定でチェックされるのは実は多くは単純な誤記や事実関係の誤りだという話を聞いたことがある。教科書として使うのだから、質の管理は不可欠だ。いまの検定は、その役割をよく果たしているのではないだろうか。別に文部科学省の官僚が「検閲」を行っているわけではないし、専門家が調べているのだ。どんな「第三者機関」を具体的に想定しているのだろうか。どういう人々を、どのようにしてメンバーに選ぶのだろうか。「第三者」という言葉を使えば、何か「公正・中立」が保障されると思うのは、言葉の詐術のたぐいだ。
 歴史(「公民」の現代史的記述も含めて)の分野では現状では解釈が異なるのだから、そこのレベルでは摩擦はさけられないだろう。中国や韓国がいろいろ言おうが、日本は粛々と教科書を作ればいい。

2005年04月06日 感想/新聞編 トラックバック:5 コメント:0

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