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NHKvs朝日

21日「毎日」社説の書き出し。
《旧日本軍の従軍慰安婦問題を取り上げたNHKの特集番組をめぐる問題は、これをいち早く報じた朝日新聞に対し、NHKや安倍晋三・自民党幹事長代理ら関係者が連日のように抗議し、朝日新聞側がまた反論するという異例の事態になってきた。/朝日新聞の取材や記事の作り方に問題がなかったかは厳しく検証すべきである。だが、この間、いささか議論が拡散しているきらいはないか。ここは今一度、冷静に論点を整理する必要がある》
で、どんなふうに整理してくれたかというと――。
《問題の第一は、NHKに対し安倍氏らの政治圧力、介入が本当にあったのかどうか。第二は、番組の内容そのものに問題はなかったのか。これが、そもそも従軍慰安婦問題をどう考えるのかという歴史認識の問題と絡み合って、話が複雑になっている》
この二つの問題は次元が違うというのが社説の主張である。そして問題の本質は政治圧力があったかのなかったのかということだという。だから、次のようになる。
《もちろん第二の問題も軽視できない。安倍氏のように番組が扱った「裁判」に問題があったという主張があるのも分かる。しかし、歴史認識の問題は別の次元で大いに議論すればいい。この問題を、ことさら「朝日新聞対安倍氏」という構図で取り上げ過ぎると、NHKの体質という本質からそれていく恐れがある》
ここでは「NHKの体質」が本質的な問題とされているけれど、いずれにしろ、どうして「番組の内容そのもの」は「別次元」なのだろうか。放送法に照らして内容が問題だと考えたから、安倍氏や中川氏は問題を指摘したのではないか。そもそもNHKが「女性国際戦犯法廷」なるものを、その趣旨に沿ったかたちで番組を作るといったことがなければ、この問題は発生しない。もう一度言えば、どうして「別次元」なのだろうか。
21日の報道で興味を覚えた点をもう一つ。「朝日」の取材記者は記者会見前日に元放送総局長が電話をかけてきた際、《「どこかでひそかに会えませんか」「腹を割って調整しませんか」「すりあわせができるでしょうから」などと繰り返した》そうだ。むろん、これは元放送総局長が言っていることだが、事実とすれば、「報道」というレベルでは「朝日」は負け、だ。
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2005年01月22日 感想/その他 トラックバック:0 コメント:0

NHKの番組「改変」

 NHK教育テレビが「女性国際戦犯法廷」を取り上げた番組をめぐって、新しい展開があった。番組は2001年1月30日に放送された。もともと同年3月2日の「朝日」朝刊が「放送直前に大幅に改変」という内容のスクープをした。その後、主催した民間団体とNHK・制作会社との間で訴訟が起きたりもしている。
 今回も「朝日」がまず「放送直前に自民党の安倍晋三、中川昭一両氏が番組内容の変更を求めた」という記事を掲載した。それを受けたようにして、番組を直接担当したNHKの現職プロデューサーが記者会見して、「朝日」の記事を裏付けるかたちの「内部告発」した。これに対して、NHK当局は「通常の編集作業だった」として、政治家二人も「会ったのは番組放送後」などとして、ともに「政治的圧力」を否定しいる。
 安倍、中川両氏の発言はいささかあいまいであり、事実関係をきちんと説明するべきだろう。だが、この問題を考える際にもっとも重要なことは、ステレオタイプな「良心的番組が自民党タカ派議員の政治的圧力を受け、改竄された」という「善玉・悪玉二元論」を排することである。
 「女性国際戦犯法廷」なるものは「戦犯」とか「法廷」とかいうまぎらわしい言葉を使っているけれど、いわゆる元従軍慰安婦という女性たちを支援するグループが行った極めて偏向した政治的なイベントであり、デモンストレーションであるということを押さえておくべきなのだ。
 日本のメディアは「朝日」をはじめとして、この「法廷」なるデモンストレーションを決して大々的に報道することはなかったと記憶する。良識というべきだろう。弁護も許されなければ、反証はもとより客観性すら保障されてない「証拠」や「証人」によって一方的に「判決」を言い渡されたりしたら、たまらない。
 この「法廷」なるものを軸に番組を制作しようとした企画自体がおかしかったのである。

2005年01月15日 感想/その他 トラックバック:2 コメント:3

駆け出しのころ⑦

 大学を卒業するまで大した苦労をしたこともない東京育ちの青二才だったから、この支局長との「出会い」はショックだった。理不尽な仕打ちをいろいろ覚えているが、たとえば、こんなことがあった。
 ある日、例によって大した記事ではなかったと思うけれど(だから、具体的な中身はまったく記憶にない)、どこかの社に抜かれて、「ちょっと支局にあがって来い」ということになった。いやーな気持ちで支局に戻ると、支局長が烈火のごとく怒っている。「お前はこのままではとても支局の記者としてやっていけない。これからすぐに指宿の通信部に行かせる」というのである。
 鹿児島県内には鹿児島市の支局以外に主要都市に通信部と呼ばれる通信網があった。記者は一人で、当時はたいてい地元採用の人だった。いまはそんなことはなくなったが、新聞社は雇用形態がさまざまだった。通信部記者は定期採用された記者と違って、最初は通信員といったかたちで雇用され、何年かたって「登用」されて正社員になる人がほとんどだった。指宿市は温泉で有名な薩摩半島の町である。当時はそこにも通信部があって、地元新聞から移ってきた年配の記者がいた。
 鹿児島県内の人事は自分が握っているのだから、だれを支局に置き、だれを通信部に配置しようと自分の裁量内というのが、支局長のリクツだった。いくら支局長でもそう単純に人事はいじれないことは後で知るが、何せ、こちらは新聞社の内部はもとより世間知らずの青二才である。ただ、数年の支局生活は仕方がないとしても当然、東京に帰って記者として活躍するのだと考えていたのだから、「指宿通信部に行け」と言われて、もうお先真っ暗と思ってしまった。
 「すぐ、これから赴任しろ」というお達しだった。で、私は「お先真っ暗」と思いつつ、仕方がないので「では、これから用意をして……」などとぶつぶつ言いながら、その場を去ろうとすると、今度は「何を言っているのか。そこに立っていろ」と前言を翻す。結局、そのときは一時間ほど立たされて、放免になったように覚えている。小学校以来、それなりの「優等生」だったから、立たされたのは初めてだった。

2005年01月08日 デモシカ記 トラックバック:0 コメント:0

紅白歌合戦

大みそかにあった「NHK紅白歌合戦」の視聴率が2日明らかになり、後半の第2部は39.3%と過去最低で、初めて40%を割り込んだ。前半の第1部は30.8%だった(関東地区、ビデオリサーチ調べ。関西地区は第1部28.5%、第2部38.6%。名古屋地区35.0%、43.7%。北部九州地区30.3%、37.6%)。一連の不祥事で傷ついたイメージを回復しようと、韓流ブームを意識するなど新企画も打ち出したが、民放の格闘技番組などに押され、「紅白離れ」に歯止めをかけられなかった。(朝日新聞・3日朝刊)

 当然だと思う。私もチラチラ見ていたけれど、とてもつまらなかった。第一、知らない歌手がたくさん出てくるし、歌もなじみがない。要するに、かつて大衆娯楽として同じ領域にあったテレビと歌謡曲(いわゆる「歌謡曲」だけではなく、広くポピュラー音楽というべきかもしれない)がまったく世界を異にするものになったということではないか。
 もう一つ、この際、リモートコントロールによって瞬時にチャンネルが変えられるようになって以降、この手の視聴率調査の結果がどこまで意味を持つかも考えた方がいいだろう。たとえば、紅白の前半の視聴率が関東地区で30.8%といっても、この前半部を通して見ていた人はずっと下がるだろう。ちょこちょことチャンネルを変えつつ、「格闘技」を見たり何なりしていたはずだ。
 

2005年01月03日 感想/その他 トラックバック:0 コメント:0

元旦社説

 元旦は各新聞が、いわば「年頭の辞」のようにして大社説を掲載する。その結果、各新聞の違いが明確になる。読売、朝日、毎日、産経の「社説」(産経は「主張」)を読んだ。予想通り、読売-産経と朝日の対立が鮮明で、毎日が「独自の道」という感じだった。
 朝日は「アジアに夢を追い求め/2005年始まり」という見出し。元旦だから「夢」というわけではないだろうが、この新聞の現実感覚の欠如を改めて見せつけられる内容だ。ほかの3紙がいずれも「戦後60年」という節目に着目したのに対し、朝日は100年前の1月1日は、旅順の攻防戦に敗れたロシアの司令官ステッセルが日本に降伏を申し入れた日だということから書き出している。「戦後60年」という言葉は一度も出てこない。
 要約すると、次のようになる。
 日露戦争における日本の勝利は当時、孫文をはじめアジアの独立運動家を歓喜させた。それから1世紀、いま「東アジア共同体を」という声が行き交っている。歴史を振り返れば、日本には岡倉天心が「アジアは一つ」と唱えたようにアジア主義の流れがあったし、孫文も「大アジア主義」を唱えて、東アジアの連携を求めた。現実はいろいろ厳しいが、今日の欧州連合(EU)が石炭と鉄鋼の6カ国による共同管理からスタートしたことに学んで、日中で海底の天然資源を共同開発・管理する仕組みを考え、平和につなげることが必要だ。EUのように、とは言わないが、アジアの実情にあった緩やかな共同体の実現に向けて、まずは夢を追い求めたい。――以上である。
 岡倉天心や孫文が出てくるのにはびっくりしたが(ついでに書くと、EUの思想的先駆者としてクーデンホーフ・カレルギーも登場する)、一言で言えば、この程度の夢はだれにでも語れる(本当に!)。問題は夢は夢にしか過ぎないことである。現実の厳しさに対比されているのは、「韓流ブーム」と日韓W杯サッカーの共同開催の成果なのだから、困ったものだ。
 読売と産経は、これも一言で言ってしまえば、「戦後60年」の今こそ「戦後的なるもの」(戦後民主主義、憲法9条、教育基本法……)を完全に払拭して、新しい時代にふさわしい国家の体制を作りださなければいけないということになる。むろん、具体的表現は違うが、論旨は驚くほど一致している。こちらも「戦後的なるもの」を捨ててしまえば、どうにかなるといった「戦後=悪」という短絡思考が目立って、「おいおい」と言いたくなる。もっとも、無責任に夢を語るよりはずっと議論の糸口にはなりうるだろう。
 毎日は「もっと楽しく政治をしよう/国民の力を信じる政府に」という、何だか訳が分からない見出し。「戦後60年」を全面に打ち出して、いま私たちが直面している問題はいずれも戦後日本の「成功話の裏面」であると説く。これはその通りだと思う。「成功話」は過去の話なのだから、いよいよ表に出てきてしまった「裏面」とどう折り合いをつけるかが、いま政治に課せられているという。この時代認識も正しい。
 だが、その先、民主主義なのだから、ちゃんと説明して議論をしないといけないという展開は、ちょっと困る。いや、間違ってはいないけれど、これはジャーナリズムとしてはある種の「逃げ」である。高校の教科書みたいなことを言っていないで、「裏面」との折り合いのつけ方に関する原則的な考え方を提示すべきではないか。
 それから、これは蛇足だが、毎日の社説の文体は困る。これでは、国語の問題にならない(まあ、国語の問題にするために社説を書いているわけではないけれど)。たとえば、こんなふうなのだ。
 《年金も消費税も公務員と天下り先の巨額な給与総額も合併しても減らない全国の議員数も米軍再編と自衛隊の今後も国連安保理常任理事国入り後の日本のあり方もすべて同じだ。
 なぜ、何が必要で、こういう見通しがあるからと説得による多数派工作がないまま進める過去60年の政治体質から、結果だけでなくそういう過程を共に楽しみ責任も共有するこれからの民主主義を形成する60年にしようではないか》。

2005年01月01日 感想/新聞編 トラックバック:0 コメント:0

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