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この「文明国」はどこに行くのか

「神保町の匠」に載せた牧原憲夫さんの『全集 日本の歴史 第13巻 文明国をめざして』(小学館)の書評です。



幕末から明治時代前期、まさしく激動の時代を見事な力技で描ききった労作である。「近代」が始まったこの時代は、いわば直接に私たち生きている「今」につながっている。「今」の枠組みが決まった時代なのである。むろん冷静な研究者として著者は歴史記述に徹して、安易な状況批判の言辞を弄しているわけではない。


だが、私は、たぶん「邪道」の読み方を思いつつ、さまざまな具体的出来事が次々に取り上げられ、豊かな具体性を通じて歴史が描き出されていくページをめくりながら、「今」という時代への鋭く、根源的な批判を聞く思いだった。


「今」の枠組みとは、何か。本書の第3章のタイトルを借りれば、つまりは「自立と競争の時代」である。「政事」は「お上」のやること。たとえ「仁政」を求める異議申し立てをしたとしても、民衆にとって、それは自分たちとはかかわりのないものだった。だが、明治に至り、人々は立身出世の道として「学校」に通い、いったん緩急あれば「兵士」としてお国のために死すらいとわないことを求められた。個人は「自立」を求められ、「お上」は「仁政」ではなく、確固とした近代の理念によって政治を行う政府となった。


「自立と競争の時代」が何を否定するところから立ち現われたのか。たとえば、江戸期の農山村には無年季請戻(うけもどし)慣行があった。何年たっても借金を返せば土地は取り戻せたのである。土地は個々の「百姓の土地」であるとともに「村の土地」でもあった。そこには近代的所有権と位相の異なる論理・倫理があった。地租改正はそれを否定した。地租は個人に賦課され、納めることができなければ、強制執行によって、土地を失うことになった。


日本が「文明国」への道をひた走った時代を、著者は常に重層的な視点で描く。「文明」はある時期「復古」として進められたし、明治政府と自由民権運動は近代国家の建設という点では目標を共有していた。単純な「国権対民権」が、この時代の実相ではなかったのである。そこに民衆という「被治者にして生活者」たちは、どのようにかかわったのか。民衆は自由民権運動に熱狂するとともに、「天皇万歳」を叫ぶ存在でもあった。


「文明」の果てに生きる私たちは、すでに「野蛮」に戻ることはできない。さて、どうしたらいいのか。

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2009年02月08日 感想/その他 トラックバック:0 コメント:2

「太鼓たたいて笛吹いて」


井上ひさし「太鼓たたいて笛吹いて」を先日、紀伊国屋サザンシアターで観てきました。林芙美子の戦争協力とそれと対照的な戦後の作家生活を描いた作品です。林芙美子を大竹しのぶが演じています。 

(↑これは以前の公演のポスター)

林芙美子というと、すぐ「放浪記」ということになります(ついでにいうと、森光子が長年続けている菊田一夫作の舞台劇を思い出す人も多いでしょう)。井上ひさしは、こうしたイメージとはまったく違う林芙美子像を作り出しています。林は戦争中、新聞社の従軍特派員や陸軍報道班員として中国やインドネシアの前線に行き、大日本帝国の勇壮な戦士たちの「物語」を書きました。しかし、戦後は、自身の身体に鞭打つようにして戦争未亡人や復員兵ら、戦争に翻弄されたふつうの人々を描く作品を次々に発表しました。

井上ひさしは、戦後の林芙美子に「太鼓たたいて笛吹いて」、人々を戦争に駆り立てた自分自身への反省と贖罪意識を読み取って、この作品を書いています。戦後の林芙美子の作品をほとんど読んでいないので、この井上ひさしの解釈については何もいえないのですが、井上ひさしは、こうした林芙美子像を通じて「ペンの責任」を問いかけているのでしょう。

大竹しのぶはやはり実に達者な役者でした。前半少し眠くなりましたが、後半は舞台の展開に引き込まれていました。島崎こま子(島崎藤村『新生』に出てくる、あの姪である)の配し方など、井上ひさしの作劇術はさすがにうまいと思います。だが、林芙美子のセリフが啓蒙家・井上ひさしのお説教に聞こえてしまって、いささかうんざりしたのも確かです。

2008年12月23日 感想/その他 トラックバック:0 コメント:1

『政治と複数性――民主的な公共性にむけて』

「神保町の匠」に齋藤純一『政治と複数性――民主的な公共性にむけて』(岩波書店)の書評を書きました。

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柴又の寅さんはいくつもの名セリフを残した。「それじゃあ、お前がイモ食って、おれがプッと屁をこくか」というのがあった。「私の気持ちはあなたにも分かるはず」といって同意を求めてくる人に、寅さんはスパッと、こんなふうに切り返す。

人間は一人一人、ついには「私」は「私」なのである。ハンナ・アーレントをはじめ多くの思想家の著作を参照して書かれた重厚な本書にはミスマッチだろうが、タイトルにある「複数性」から、私はこの寅さんのセリフを思い出した。

相互に「他者」として立ち現れざるをえない「私」たちは、どうしたら「他者」性をそこなうことなく、有効な社会的連帯を作り出していくことができるのか。著者はアーレントに深く学びつつ、現代における民主的公共性について独自の論究を深めている。

アーレントにとって、公共性の領域は人々が政治的存在者として現れる「現れの空間」である。人々はそこで自ら言葉を発し、自ら行為する。「他者」が、それに対して何らかの応答をする。著者はこの「現れの空間」としての公共性に深く共感しながらも、アーレントが描かなかった「もう一つの公共性」を提示する。

著者は、それを「生活を保障する公共性」と呼ぶ。人はだれもが「生物学的生命」として存在する。「生活を保障する公共性」は、こうした人間存在にかかわる。今日、この公共性なしには「現れの空間」としての公共性もありえない。アーレントは「複数性」を公共性の前提にした。この点はむろん、著者も同じ立場にいる。だが、公共性そのものが、こうした複数の位相を持っているのだ。

公共性に深くかかわって、著者は「親密圏」の捉えなおしも行っている。「親密圏」といえば、すぐに「家族」が思い浮かぶが、著者は「具体的な他者の生への配慮/関心を媒介とするある程度持続する関係性」と把握する。「生活を保障する公共性」は国家の占有物ではない。「親密圏」は、ある人々にとってはかけがえのない「現れの空間」でもありうる。

門外漢の私としては、もう少しやさしい言葉で書いてほしいと思いながら、時代へのアクチュアルな関心を背後に自らの思想を紡ぎだそうとする著者の果敢な取り組みに共感した。


2008年12月15日 感想/その他 トラックバック:0 コメント:0

筑紫哲也の死去

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筑紫哲也氏が亡くなった。肺がんの闘病生活をしていたことはよく知られていたが、病状などについて詳らかではなかったから、少しびっくりした。肺がんはかつてはかなり死と直結する病気だったが、近年は治癒率も相当高くなっているのではないかと思う。私の周囲にも肺がんの手術後、元気にされている人がいる。私の驚きの背景には、そんなことも関係しているだろう。

何かの授賞式のパーティーで遠くから見たことがあるだけで、筑紫氏とは残念ながら、何の接点もなかった。パーティーの席での話は筑紫氏がもう相当の年輩のときだったが、遠めにもなかなかダンディーな人に見えた。

筑紫氏の訃報は出身母体の「朝日」をはじめ、私の予想以上に大きな扱いだった。田原総一郎氏が「一つの時代が終わった」とずいぶん大仰なことを言っていた。しかし、よく考えてみると、たしかにそういうところがないわけでもないような気がしている。もっとも、「一つの時代が終わった」という意味は、田原氏と私では相当の開きがあるだろうが……。

死者に鞭打つ気はないし、それなりの仕事をした人だとは思うけれど、「これ」というジャーナリストとしての業績を知らない。『朝日ジャーナル』編集長時代の「若者の神々」は、当時のニューアカ的雰囲気に便乗しただけの、何の批評性も感じないものだったし、テレビのキャスターとしてもピントはずれの「他事争論」が多かったように思う。

結局、筑紫哲也という人は、「朝日」的進歩主義を身にまとまったダンディーなテレビ人だったというところか。「朝日」的進歩主義(憲法9条を掲げる「一国平和主義」とでもいえばいいか)が黄昏てしまって久しい。筑紫氏の退場は、その意味では「一つの時代が終わった」ことの再確認ということになるかもしれない。

2008年11月17日 感想/その他 トラックバック:0 コメント:0

「輿論」と「世論」をどうつなぐのか

佐藤卓己『輿論と世論――日本的民意の系譜学』(新潮社)の書評を「神保町の匠」に書きました。


「世論」という漢字をさて、どう読むか。「ヨロン」、それとも「セロン」? いまは「ヨロン」派が多数派である。「世論」はもともと「輿論」と書いた。これはもちろん「ヨロン」である。戦後の漢字制限で「輿」が使えなくなり、「輿論」を「世論」と書くようになった。この来歴からいえば、「世論」を「ヨロン」と読むのはいちおう正しい。だが、ことはそう簡単ではない。

明治以後、「世論」という言葉はちゃんとあった。これは「セロン」または「セイロン」と読んだ。意味は「輿論」とかなり違う。著者の説明を使えば、「輿論」はpublic opinion であり、「世論」はpopular sentimentである。前者は、世の中を導く「公論」として大切だが、後者は人々の「気分」に過ぎないものとして、むしろ否定的に使われてきた。

著者はこうした言葉の歴史を明らかにした後、終戦記念日をめぐる世論調査から「小泉劇場」に至るまで、戦後日本社会のさまざまな事例を、この「輿論と世論」の軸で考察する。「公論」のほか「議論」「意見」「意識」「評価」「建前」「理想」などといった言葉に「よろん」のルビがふられる。一方、「気分」のほか「空気」「声」「ムード」「感情」「雰囲気」「本音」「現実」のルビは「せろん」である。著者の駆使する文字通り「複眼」的分析は、私たちが生きてきた戦後社会の構造を立体的に明らかにしてくれる。

著者の立場ははっきりしている。テレビがメディアの主力になった戦後日本でとりわけ顕著になった「輿論の世論化」に異義を唱え、「世論」に対決して、「世論」に抗して、「輿論」に働きかえることが必要だというのである。

問題は「輿論と世論」が単純な二項対立ではないところにある。これはもちろん著者も気がついていて、「公論と私情は現実には複雑に入り混じっており、きれいに腑分けすることは不能である」と書いている。そのうえで、「思考の枠組み」として、常に「輿論」か「世論」か、を自らに問いかけることを求めるのである。だが、私には「思考の枠組み」というより、「輿論」と「世論」との架橋にかかわる「思考の方法」こそ重要なのではないかと思える。


2008年11月05日 感想/その他 トラックバック:0 コメント:0

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